【神戸市 市長室 戦略広報部 多名部部長が、世界的経済誌Forbesに執筆された記事が、今朝10:15に公開になりました】

足の指でドローンを操縦 腕のない高校生が「社会を支える」とき | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
新しいテクノロジーが人間の身体機能を補う。人工感覚器が聴力や視力を高めたり、生成AIが知能の代わりを果たしたりする時代になってきた。 神戸市内の高校に通う宮崎美侑(みやざき・みゆう)は、生まれたときから左右の腕が肩の先までしかない。そんな彼...

【神戸市 市長室 戦略広報部 多名部部長が、世界的経済誌Forbesに執筆された記事が、今朝10:15に公開になりました】
宮崎の上達は早く、中学3年生であった2021年には、神戸の街の夜景を海上から撮影するほどの巧みな技術を習得していた。
高校生になると、通常はドローンを飛ばすことのできない人がいるエリアで、しかも目視外飛行をさせることのできる、一等無人航空機操縦士という国家資格の取得を目指すことにした。だが、さすがにその取得は一筋縄ではいかなかった。撮影であれば榎本がそばにいてサポートもできるが、資格取得の試験ではそうはいかない。宮崎が壁に直面していると感じた榎本は、こっそり自分自身の足で一等無人航空機操縦士の試験科目の練習をした。当たり前だが、足の親指の使い方などかなり難しかったという。そして、練習をしていて宮崎の集中力が切れた頃合いを見計らい、彼女の前で自分の足技でのドローン操縦をさりげなく披露したのだという。榎本は次のように言う。

「自分の専売特許と思っていた足での操作を、手のある僕がやっているのを見て、ライバル心に火がついたのかもしれないですね」

そのことがあってから、宮崎はこれまで以上に黙々と練習に励むようになると、昨年7月、見事、一等無人航空機操縦士の国家資格に合格。16歳での取得は最年少記録だった。

その後の10月には、神戸港の海上をいろどる花火を海側からという、これまで誰も見たことがないような映像の撮影に成功する。
昨年10月に海上花火を8K映像を撮影

当日はかなり寒い日だったが、宮崎は「操縦しているときは、幽体離脱しているみたいで、モニターしか気になりませんでした。寒さはまったく感じていません」と、その日の撮影についてまさにプロカメラマンのような言葉を残した。

来春には大学に進学したいという宮崎に、将来について聞くと次のような意外な答えが返ってきた。

「ドローンの操縦を仕事にしようとは考えていません。むしろ、機械をつくる側のメーカーで働きたいです」

この2月、竹中と榎本のドローン教室からは、宮崎に続く2人目の「一等」資格の合格者が出た。発達障害を持つ男子高校生だ。「一等」資格の保有者は全国で1000人に満たない難関なので、同じ教室から、しかも2人とも高校生というのは快挙にちがいない。

新しいテクノロジーが、人間の身体の限界を切り開いていく。そんな新たな世界にチャンスを感じられるのなら、たとえ障がいを持っていても、将来は明るく見通せるはずだ。

宮崎が語った「私みたいな人でもできるのだから、みんなもっと挑戦すればいいのに」という言葉が、いつまでも私の耳から離れることはなかった。

新しいテクノロジーが人間の身体機能を補う。人工感覚器が聴力や視力を高めたり、生成AIが知能の代わりを果たしたりする時代になってきた。

神戸市内の高校に通う宮崎美侑(みやざき・みゆう)は、生まれたときから左右の腕が肩の先までしかない。そんな彼女は、ドローン操縦士として活躍している。

ドローンはゲーム機で使うようなジョイスティックを左右の指先で動かして操作するのだが、彼女は手の代わりに両足の指で巧みにそれを操る。昨年11月に神戸港で開かれた海上花火をドローンによる空撮で成功したことで、彼女は注目を集めた。
足の指で器用に操作

もっとも高校生である宮崎が、独力でここまで到達できたわけではない。彼女を陰で支える2人の強力なサポーターの存在があった。
障がい者向けのドローン操縦教室

最初のきっかけを生んだのは、社会福祉法人「プロップ・ステーション」の代表で、障害者の就労支援をライフワークとする竹中ナミだった。彼女自身、重度障害児の母でもある。

30年前から竹中は、「障がいをもつ人」のことを「Challenged(チャレンジド)」と呼んできた。障がい者は米国では「the challenged」と表現されることがある。直訳すると「神さまから課題を与えられた人」という意味だ。

障がいをマイナスと考えるのでなく、障がいがあるからこそ得られる体験は、自分や社会に役立てられるという思いを込めてそう呼んでいる。

竹中がドローンに注目したのは、2015年に総理官邸の屋上にドローンが落下したニュースを知ったときだった。動物的な勘で、障がい者が仕事をする道具に役立てられると思ったという。

そこでドローン操縦を教えてくれる先生を探し、白羽の矢を立てたのが、国際ドローン協会代表の榎本幸太郎だった。榎本は日本におけるドローン操縦の第一人者で、海外での撮影も多く手掛けており、映画やCMの撮影でも引っ張りだこだという。

ドローンの操縦を教えられる人物はいくらでもいる。だが竹中は、障がい者でもその技術が認められ、相応の対価が得られる仕事とするためには、一流の技術を有した操縦士にならないといけないと考えた。であれば、超一流の先生に教えてもらうのがいちばんの近道だったのだ。

そんな竹中が榎本を口説いたセリフは、以下のようにとてもシンプルだったという。

「チャレンジドの人たちを、タックスペイヤー(納税者)にしたい」

ともすると、障がい者は社会全体で支援すべきだと考えられがちだ。ところが、彼らや彼女たちを、逆に納税者、つまり社会を支える側の人間にしたいという思いを込めた言葉だった。

この竹中の口説きのセリフに榎本は驚いた反面、なるほどと思ったという。なぜなら、彼自身も25歳のときに大きなバイク事故で背骨を折り、半身不随になりかけたことがあったのだ。

榎本は、生涯を車いすで障がい者として生活するイメージをそのときはっきりもったことがあるので、自分ではたどり着けない場所に行くことのできるドローンは、身体の限界を補う機能があると考えていたからだ。

2人はたちまち意気投合すると、二人三脚で障がい者向けのドローン操縦の教室を始めることになった。
左から榎本幸太郎、宮崎美侑、竹中ナミ

16歳での「一等」取得は最年少記録

一方、高校生の宮崎は、小さな頃から機械が好きで、中学生のときから障がい者向けのパソコン教室に通っていた。この教室を運営していたのが竹中で、足指で器用にパソコンを扱う宮崎を見て、ドローンを操縦してみないかと誘ったのだ。

宮崎から即座に「やってみたい」と返答があり、彼女を含めて生徒がたった3人のドローン教室が始まった。

足の指でドローンを操縦 腕のない高校生が「社会を支える」とき | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
新しいテクノロジーが人間の身体機能を補う。人工感覚器が聴力や視力を高めたり、生成AIが知能の代わりを果たしたりする時代になってきた。 神戸市内の高校に通う宮崎美侑(みやざき・みゆう)は、生まれたときから左右の腕が肩の先までしかない。そんな彼...

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